武水別神社神官松田邸開館記念特別展「徳川家康VS.武田信玄」開催のお知らせ

更新日:2023年11月01日

開催概要

戦国時代、千曲川をはさんだ東西では、八幡宮(現在の武水別神社)神主をつとめながら、稲荷山城に在城した「神官的武士」松田氏と、屋代城や新(荒)砥城に在城した屋代氏とがそれぞれ活躍していました。この両者に深く関わる戦国武将が、大河ドラマ「どうする家康」の主人公徳川家康と、家康が恐れ、ドラマでも注目された武田信玄です。

松田家と屋代家には、それぞれ「松田家文書」と「屋代家文書」が伝来し、そのなかには武田信玄や徳川家康の古文書が残されており、戦国時代における千曲市域の歴史を知るうえで貴重な資料となっています。また、戦国武将は通常、古文書を「右筆」という書記役に書かせますが、両文書には武田信玄と徳川家康の自筆文書も残っています。自筆文書は数も少ないことから、両文書は学術的にも貴重です。こうしたことから、「屋代家文書」は古文書としては唯一、千曲市指定有形文化財に指定されています。

このたび、武水別神社神官松田邸では、今年3月の開館を記念して、市内に残る二大中世文書「松田家文書」と「屋代家文書」に残る武田信玄と徳川家康の古文書から、戦国時代を代表する武将のもとにおける松田氏と屋代氏の活動内容を紹介する特別展を開催します。さらに、超特別展示として、やはり大河ドラマでインパクトを残した駿河国の戦国武将今川義元の古文書も展示します。

戦国時代の古文書をこれだけまとまった形で展示するのは、市内では初めてとなります。展示を通して、戦国時代の千曲市について思いをはせていただくとともに、自筆文書から戦国武将の息吹や人となりを感じていただけたら幸いです。

会期

令和5年11月24日(金曜日)から令和5年12月24日(日曜日)まで

開館日時

金曜日・土曜日・日曜日(月曜日から木曜日までは休館日です。ご注意ください)

午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)

なお、武水別神社の大頭祭期間中の12月11日(月曜日)から14日(木曜日)までは臨時開館します。

観覧料

一般300円(250円)、高校生150円(100円)、中学生以下無料

カッコ内は団体見学料金(団体は20人以上)

関連事業

学芸員による展示解説会

日時:11月25日、12月2日、12月23日(いずれも土曜日)午後1時30分から20分程度

場所:武水別神社神官松田邸展示室

対象:どなたでも

参加費:無料(ただし、観覧料が必要となります)

申し込み方法:なし。開始時間までに松田邸入口にお集まりください。

交通案内

電車でお越しの場合

・しなの鉄道「屋代駅」から車で約10分

・篠ノ井線「姨捨駅」又は「稲荷山駅」から車で約8分

車でお越しの場合

・長野自動車道更埴インターチェンジから車で約10分

・長野自動車道姨捨サービスエリアから車で約10分

※駐車場については、武水別神社神官松田邸までお問い合わせください。

バスでお越しの場合

・市内循環バス 大循環線「ちくま号」又は姨捨線「めいげつ号」八幡停留所下車徒歩1分

展示内容

戦国時代のはじめ頃から、北信地方の武士たちは、越後国の長尾氏・上杉氏、甲斐国の武田氏を呼び込むかたちで自身の勢力拡大を優位に進めようとしました。その結果八幡にも戦乱の波が押し寄せてくることになります。現在の武水別神社神官松田邸に残る土塁跡や堀跡は、こうした時代状況の中で構築されたものと考えられます。

松田氏は上杉氏のもとで、屋代氏は武田氏・上杉氏・徳川氏のもとで、それぞれ戦国の世を生き抜いていきます。著名な戦国武将のもとにおける両者の動向に注目して展示をご覧ください。

松田氏について

戦国時代に、八幡・稲荷山を拠点に活躍し、同時に八幡宮(現在の武水別神社)の神主もつとめていた「神官的武士」です。

元亀元年(1570)12月4日武田信玄朱印状が確実な初見資料です。しかし、ここに見える「松田式部丞」の系譜は絶えてしまったと考えられ、天正12年(1584)、日岐城(現在の生坂村)に拠っていた仁科織部佑盛直が、上杉景勝の命令で「松田名跡」を継いで松田盛直に名前を改め「仁科松田氏」となったのが、現在の松田家につながる最初です。

それ以降盛直は、一貫して上杉景勝に臣従し、土塁や堀を持つ松田館や稲荷山城を拠点に活動していきますが、慶長3年(1598)に上杉氏が豊臣秀吉の命令で越後から会津に移封になると、盛直は一族の松田縫殿助に神主職を譲り、自身は上杉氏と共に会津(のち米沢)に移住します。

江戸時代なると松田氏は、八幡宮神主に専従し、松代藩から200石の社領を与えられます(別当分100石、神主分100石)。

松田氏は、江戸時代中期から明治時代後期にかけて、神主として、斎館や主屋をはじめとした建物群を建てていき、「神官の住居として県内で屈指の屋敷構えを持っている」と評価される松田邸を整備し、現在にいたります。

屋代氏について

屋代氏は、屋代城(現在の一重山にあった山城)や新(荒)砥城を拠点に、武田氏・上杉氏・徳川氏のもとで活躍した中世武士です。

信濃武士としての屋代氏は、鎌倉時代には鎌倉幕府御家人として名前が見え、室町時代には関東地方を中心に活動し、埴科郡倉科荘(現在の森・倉科・生萱・土口・雨宮のあたり)や常陸国東条荘社村(現在の龍ケ崎市)に所領を持っていました。また、室町幕府の奉公衆(幕府直轄軍)としても活動していたことがわかっています。

しかし、これらの屋代氏と、戦国時代に更埴地方で活動が見られる屋代氏とがどのような系譜関係にあったのかは不明で、今後の研究がまたれるところです。

戦国時代の屋代氏は、武田信玄の信濃侵攻、武田家滅亡後の上杉景勝の信濃進出に乗じて雨宮・八幡・塩崎などに所領を拡大しました。その後、上杉氏に臣従しながらも、徳川家康から更級郡支配の密約を得、上杉氏から離れ、徳川氏に臣従します。江戸時代には安房国北条藩1万石の大名となりますが、百姓一揆の責めを負い改易となった後は徳川家の旗本として存続します。明治維新で徳川慶喜が静岡県に移住すると、それに従いました。

展示資料(順不同)

  1. 武田信玄自筆書状(年未詳8月10日) 松田家文書
  2. 武田信玄朱印状(元亀元年/1570年12月4日) 松田家文書
  3. 武田信玄書状(天文22年/1553年8月8日) 屋代家文書
  4. 武田信玄朱印状(永禄元年/1558年6月1日) 屋代家文書
  5. 徳川家康書状(〈天正10年〉/〈1582年〉9月19日) 屋代家文書
  6. 徳川家康自筆書状(天正11年/1583年3月14日) 屋代家文書
  7. 今川義元書状(年未詳6月26日) 松田家文書

このうち、屋代家文書は、全点が千曲市指定有形文化財(古文書)です。

1 武田信玄自筆書状

3 武田信玄書状

6 徳川家康自筆書状

7 今川義元書状

展示資料の見どころ

  • 武田信玄といえば、「戦国最強」「武田騎馬軍団」といった剛のイメージのある戦国武将です。しかし、その自筆書状を見てみると、意外にも文字は繊細です。信玄のイメージと実像とは?ぜひご自身の目でお確かめください。
  • 徳川家康の古文書は、現在5000点以上が知られていますが、自筆はそれほど多くありません。それだけに屋代家文書に伝来した家康自筆の古文書は必見です!また、なぜ自筆で書かれたのか?古文書の内容にも注目です。
  • 今川義元といえば、桶狭間の戦いで敗れたイメージにより、暗愚な武将と思われがちです。しかし近年の研究により、領国経営にすぐれた手腕を発揮した武将として見直されつつあります。義元の書状は、更埴地方に伝来したこと自体が珍しい古文書です。一見の価値あり!

その他、今回展示する資料はほとんどが実物初公開です。ぜひ間近でご覧ください。

この記事に関するお問い合わせ先

武水別神社神官松田邸
〒387-0023
長野県千曲市大字八幡3033番地25
電話番号 026-247-8760
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