モニュメント作品17~32
番号 | 17 | 18 | 19 | 20 |
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タイトル | WASUREMONO | All on the (E)line(横・一列) | 青くて大きな家 | 子供たち |
作者 | 石田 眞利 | 菅原 年 | 清 卓矢 | 西中 良太 |
場所 | 屋代公園 | 粟佐西交差点 | 粟佐橋ふれあいパーク | 千曲市役所 |
年度 | 昭和63年度 | 平成5年度 | 平成4年度 | 昭和60年度 |
制作意図 | 新芽が芽吹き上へ上へと伸びてゆく、生命力を子供達の集う場所にふさわしい身近で優しい形に表現した。 |
人と人との関係や国と国との関係、人間と動植物、或いは地球環境と人類との関係など、様々な関係の上にこれらすべてとの歴史が成り立ち繰り返されて来ました。 何億年という途方もない年月を。 しかし、それらを現代に生きる我々が引き継ぎ、未来へ引き渡すことが出来るのか近年とても不安に感じさせる出来事がクローズアップされています。 人間だけが様々な関係を無視し始めた時からどこかに「ズレ」が生じたのだと思ったりします。 もちろん私自身も加害者の一人です、或る程度相手が妥協できるところで考えられればそうしたズレが生じることもないのだと思います。 この作品はそうした様々な立場の主張を認め合い、妥協しその微妙な関係を保ちつつしっかりとスクラムを組み、決して同じペースの上に成り立っていることを忘れずに、今現在より一つ上を見ながら成長して行く、何かそんな様な事を表すことが出来たら良いと思いながら制作に入りました。 |
公園の北には飯綱山がひっそりと遠くに、また、南には冠着山が雄大に見える。 ここは四方を山に囲まれた盆地なのだと感じた。 この土地の人柄やこの環境がいつまでもこのままであって欲しいと願い、この場所に根付く様な作品を制作しました。 |
学生時代に、未来への思い・目差し、をテーマに次代の主人公である子供をモチーフにして、数点作りました。 その中でもこの作品は、はじめて公の場に設置されたということもあり、私にとって特別な意味を持っています。 このころのピュアな精神は、今となっては得がたいものとなってしまいました。 |
番号 | 21 | 22 | 23 | 24 |
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タイトル | UN TITLED IMAGE | 鳩 | 東風ふかば | 環(わ) |
作者 | MADAN・LAL・GUPTA | 湯川 隆 | 内藤 淳子 | 斉藤 卓 |
場所 | 千曲市役所 | 屋代駅前通り | 屋代駅前通り | 屋代駅前線植樹桝 |
年度 | 昭和62年度 | 昭和61年度 | 平成元年度 | 平成5年度 |
制作意図 |
植物の成長と発芽を基本的なテーマとし追求した作品です。 UN TITLED IMAGE(題名がないこと) |
私の造る彫刻には、派手な動きや、ポーズしたものはありません。 「私が彫刻だ」なんて言っている彫刻はあまり好きではないのです。 初めて琵琶島橋を見た時、あまりにイメージと違っていたので少々動揺しました。 しかし橋の上から小川を見ていたらこの川に、最小で最大の価値があることがわかりました。 何がどうのというよりも、まず存在することが最大の価値であることを・・・・・・・・・自分からはあまり主張せず、それでいてないと淋しい、そんな彫刻を造りたいと思わされました。 題名を『鳩』にしましたが、裸婦と鳩の組み合わせは少々変に見えるかもしれませんが、この作品には小さなものも存在しえる環境、つまり平和であることの素晴らしさみたいなものを、表現させたかったので、そのシンボルである鳩と、何のプロテクションもつけていない裸婦とで構成しました。 |
厳しい冬を乗り越えた後の春風は、人々の心をなごませ、明るく軽やかな気分にさせてくれる。 そしてそれは、あらゆる生命の営みを呼びおこし、世の中の活動を活発にする。 そんな春の風のなかに、やさしく力強い生命感のある作品をイメージして制作しました。 人々が行き交う街の中で、伸びやかにそれぞれの生活に溶け込み、一つの街の表情になっていけばと思っています。 |
盆地で中央を千曲川が流れる小さな町、更埴市。 ここには自然が語りかけてくる時が流れている。 時は過去・現在・未来の三つからなり立っており、絶えず未来へと流れている。 人もまた、親・自分・子供から成り立っていて、生死をくり返しながらも絶えず未来へと向かっている。 この自然の中での生活からくる人と人との強い繋がり、そしてそれによって生じる人と時との関わり合いを彫刻で表現したいと考えました。 人との環が持つ大切さを伝えることが出来るならばまさに「作家冥利に尽きる」というものです。 |
番号 | 25 | 26 | 27 | 28 |
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タイトル | トライアングル | 魂柱 | 堤(つつみ) | 窓辺から |
作者 | 信時 茂 | 小渕 俊夫 | 藤田 精 | 佐々木 仁 |
場所 | 埴生公民館向かい側 | 更埴図書館 | 更埴デイサービスセンター | 更埴文化会館 |
年度 | 昭和62年度 | 昭和60年度 | 平成5年度 | 平成2年度 |
制作意図 | 静から動へ、動から静へ一瞬の緊張感を表現するために。 |
発想の起点は、古代遺跡の柱の残骸にある。 遺跡に残された柱こそは、その時代に生きた人々の情念と文明のあかしのためのモニュメントであろう。 孤高と立つ一本の柱をもって、今現在の時を生きる我々の証しというものを、未来へ残してみたいと思って制作した。 |
堤というものの中には、水の流れを司り、人々の日々の生活を守り、安らぎを私たちに与えてくれるという意味があるであろう。 堤という、とり囲む形態の持ちうる意味。 人々がとり囲まれること、守られることによって生まれてくる安心感や、やすらぎの気持ち。 そのような事を考えながら制作してみた。 自分はどのようなフォルムによって、安心感、やすらぎの気持ちを持てるだろうか。 自分の堤とは、どんな堤であるのだろうか。 そんなものが、少しでも石の中に表現できるようにと思う。 |
窓から外をながめている女性の像で、何をながめ見ているのかというのが、この作品を見る人の興味の対象となること。 そのような想像をしながら、それぞれのドラマを感じてほしいと思っています。 |
番号 | 29 | 30 | 31 | 32 |
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タイトル | 春風 | 秋のしらせ | 羽のあった頃 | 冬鳥 |
作者 | 織本 亘 | 嶋崎 達哉 | 佐善 圭 | 山本 郡吉 |
場所 | 更埴文化会館 | 更埴文化会館 | 中区 | 稲荷山ミニパーク |
年度 | 平成2年度 | 平成3年度 | 昭和62年度 | 平成8年度 |
制作意図 |
春風は、人々の心の内にこれから暖かくなるという喜びと、長く寒い冬との別れを告げにやってくる。 そんな春風は、この作品の少女の様な妖精が吹かせてくれているのかもしれません。 春風の様に暖かく、優しい気持ちにさせてくれる、そんな作品をと思い作りました。 この作品をみてくれた人々にもそんな気持ちになってもらいたいと思っています。 |
大地にしっかり足を踏みしめ生きる農夫の親子が、収穫の喜びとはうらはらに、秋風が強く吹き抜けてゆく情景を表現した作品です。 現代社会の発展とともに、人間にとって忘れがちになりつつある自然の恵み、きびしさと共に生きる人間の姿を、もう一度振り返るべきと思う。 まだ幼い子供を守り包む母の力強い愛情は、どんな過酷な自然の力にも打ち勝てるものだと感ずる作品にしたい。 |
物を造っていく時に考えることがある・・・・・・それは自分だけしか持っていない楽しい世界を、多くの人達に見て触ってもらいたいと想うことである。 この作品は、昔持っていた軽やかな想いを石で表した物である。 あの羽をもっていた頃を思いながら・・・・・・。 |
昨年の冬ぐらいから、少しずつ自分の中で変わりたいという願望が生まれ始めている。それは、これから卒業し社会に出て行く期待と不安が入りまじって生まれたものだと思う。実際、今も変わろうと思っている。この時期(この冬鳥を制作していた時期)石は、ゴロっとした固まりである時が一番強く、美しいと思った。塊である以上、中心にむかって形が形成されていく、いわば球体のような形がベストでないかと考えていた。しかし、ただ球体を作っただけでは自分の意思が他者につたわらない。わかりやすいこともひとつの目標である自分は、いつも自分の中にあるモチーフ”鳥”に注目した。鳥の強さ、やさしさ、美しさは石の美しさや強さにとても似ていた気がした。きっと石なら、自分の中の鳥が表現できるのではないかと思い制作した。うずくまり、丸まっている”冬鳥”は、冬の寒さをじっと耐え、春の訪れを待つ美しい姿であり、こらからの自分の姿だと思っている。他者に少しでも美しさ、やさしさ、強さが伝わればと思い制作した。 |
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都市計画課
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更新日:2025年01月27日