モニュメント作品1~16

更新日:2023年12月25日

作品1~4
番号 1 2 3 4
イメージ ゴツゴツとしたシルエットの台座の上に満開に開いた花の形のオブジェが乗ったモニュメントの写真 壺のような形で左右がふっくらと膨らんでいるフォルムをしたモニュメントの写真 円筒形の台座の上に赤いトンボのようなシルエットをしたオブジェが乗るモニュメントの写真 細長い棒状のオブジェが3つ組み合わさったようなモニュメントの写真
タイトル 太陽花 開いてゆく種 朱色の記憶 時がはこぶもの
作者 宗 あみ子 武田 亜矢 金巻 芳俊 佐藤 由圭子
場所 沢山川親水公園 土口ポケットパーク 生萱(湯沢) 倉科うぐいす線
年度 平成6年度 平成2年度 平成10年度 平成7年度

制作意図

誰がそれを見ても、とても気分が良くなり、やさしくなり頑張ろうと思える様なものを制作しようと、いつも考えている。

私は石が好きだ。

強くて、温かくて、頑固でそれでいて、時に私の気持ちを一身に受け止めてくれる。

私は太陽が好きだ。

食物を作ってくれる。

生きている喜びを与えてくれる。

私は、向日葵が好きだ。

元気で、大きくて、真っ直ぐに上へ上へとのびる。

私の好きなものを全て、表現したいと思った。

そしてそれを、皆にも好きになってほしいと思った。

一人でも多く「今日も頑張ろう」とか、「何か元気が出てきた」そう感じてくれるなら・・・。

皆が少しでもこの花を見て、足を止めてくれたり、触りたいと思ってくれたり、小さな記憶として残してくれるなら、私はとても幸せであるし、そうしてくれた人も、きっと幸せな気持ちになってくれると思う。

皆に幸せになってほしい。

もちろん私自身も。

心の中に、いつでも向日葵を、咲かせていたい。

気持ちの中に気にかかる事、心配な事など、何か重たいものが存在する時、心も体も頭も自由に動けません。

けれど、そんな感情のなかをずっとぐるぐるとめぐっていると、ある瞬間が「ふっ」と、ふっ切れる事があります。

そんな、心が開かれていく時、新しい芽が自分の中にある固いものを打ち破ろうとしているように思え、その感覚を作品の中に表現できればと思い、この作品を造りました。

長野県・更埴市には、我々日本人にとっての普遍的な故郷の姿がある。河が流れ、田畑には、穀物が実り、人が生活する。私もそのような土地で生まれ育った為、更埴市を訪れた時、親しみや懐かしさを感じた。今回、更埴市に作品を設置することを前提として計画を立てる時、きっと誰もが少年時代に体験した、あの故郷の思い出をテーマとして作品にしようと考えた。その思い出とはこの様な事である。【金色の稲穂の中を飛びかうとんぼを追って走る。草色のあぜ道を、虫とり網を振り回して、おいかけていく。やがて、そのとんぼ達は、朱色の姿を、くっきりとした青空の中に吸い込まれて行くかのように舞い上がり、少年はその姿が見えなくなるまで見上げ続ける。】このような体験は、多少の違いはあるだろうが、全ての人が、かつて、少年・少女だった頃、一度は味わう経験だと思う。たとえ、経験のない人でも、本能的な記憶の中で懐かしさを感じるかもしれない。かつて少年であった大人達が、この作品を見て、少年時代を思い出せる様な彫刻を作りたいと思っている。

「形」を存在させることによって、そこに生じる新たな空間。私はその空間の存在を意識することによって、目では捉えることの出来ない新たな世界を、彫刻という造形表現を自己の内部をフィルターとして通過させることで、見出していきたい。「舟と水の流れ」をイメージの原型として制作した「形」が、川に架かる橋の上に設置することによって、より一層に、事物の移り変わりと社会と私という個の存在の間を漂う時間の流れを強調させることが出来たらと思う。

作品5~8
番号 5 6 7 8
イメージ 膝立ちしている女性を象ったモニュメントの写真 球体と人体の足部分のシルエットを組み合わせたようなモニュメントの写真 デフォルメされた人体のようなシルエットをしたモニュメントの写真 平面的で細かな空洞の掘り込みがあるモニュメントの写真
タイトル あんず 虫の声 森の中の鳥たち
作者 深作 洋子 森 大輔 高瀬 智淳 相原 正美
場所 あんずの里観光会館 403号バイパスポケットパーク 雨宮公園 東部体育館
年度 昭和61年度 平成11年度 平成6年度 昭和61年度

制作意図

私の手元を離れた作品がみる人達によって多種多様に変化し、成長してくれるよう願います。

だれしもが思い描く不安なもの。

結果そこに行き着く、永遠にあなたと供に・・・・・・。

そんな作品(もの)がつくれたらと思います。

この作品は、成長段階にある人間の姿を抽象的に表現したものです。更埴市による「魅力ある地域文化の創造」と、そのための、「若人の手による作品」の野外設置から『成長』というイメージが思い浮かび、このような作品にしました。この像は球体から胴がのび、足が一本しかありません。オタマジャクシのような、精子のようなかたちを借りて、成長段階にある姿を表しました。体をそり上げ、足を緊張させているのは、「苦」を表しています。成長していく上で、数々の苦難を乗り越えていかなくてはならず、そのために努力するといった意味を含んでいます。

彫刻のフォルムは、宙に浮いてしまいそうな程リラックスした気分を表現したものです。

この立像の持つ雰囲気は、のんびりとした自然と呼応し、像を見る人の心情が季節や時間によって様々な調和を見せることを意図しました。

公園で遊ぶ子供たちが、この立像を仲間のように受け入れ立像を囲むようにして、友達のゲームを観戦したり、立像と同じポーズをとって横一列に並んで記念撮影をしてくれたりしたらいいなと思っています。

鳥は私にとっての子供の頃から、憧れの動物でした。

大空を自由に飛び、木の枝で眠り、楽しくさえずるのですから。

そしてその羽は光を分割して七色に見せ、1枚1枚の形のなんときれいなことか・・・・・・・・・というわけで、鳥を通じて、身近かな自然との接点を持つ形を表現したのが「森の中の鳥たち」といえます。

全体感からは枝にとまっている鳥の形を、内側の形には、循環する生命、数々の空間はその向こうにある山や木々の緑を内包する形というふうに考えました。

作品9~12
番号 9 10 11 12
イメージ 雲の上で大きく伸びをする人物を象ったモニュメントの写真 球体から切り立った四角柱が突き出ているような見た目をしたモニュメントの写真 ややデフォルメされた耳のようなシルエットをしたモニュメントの写真 長方形を上下で分割したような見た目のモニュメントの写真
タイトル 宙の音 望郷 望想 タイムカプセル
作者 延岡 穀一 深谷 泰正 石井 学 井上 裕紀
場所 森 岡森の池 市営屋代団地 屋代ポケットパーク 森将軍塚古墳館入口
年度 昭和62年度 昭和63年度 平成元年度 平成11年度
制作意図

人は昔から楽器のかたちを人のかたちにのなぞらしたものを数多く作っています。

大自然の中で、それが音楽を奏でているようすを意図した作品です。

自然と都市との調和というイメージで表現してみた。

又、人々が集まるコミュニティーな空間に、ほっと落ちつけるような作品にした。

人の優しさ、そして温かみ、それらをこの作品で表現してみました。

石という素材であればこそ感じられる温かみを第一に、体全体で包みこむ様な温かみが表現できたらと、思いながら制作しました。

石を素材にしている限り、重量感はなくさない様に心がけました。

今回の作品は、更埴市との最終年度という事と、2000年という、一区切りの年でもあるという事で『タイムカプセル』を制作した。石の中には空間を配し、例えば、更埴市の学生を対象にして作品の中に重いものを入れることができる。しかし、人には一切公表しない。そして森将軍塚古墳という歴史を公開している場所の前に設置することにより、他の人々に、それぞれの時間に置き換えて、それぞれの気持ちを共感して欲しいと思う。
作品13~16
番号 13 14 15 16
イメージ 子を抱きしめる母親を象ったモニュメントの写真 5本の赤いアーチ状のオブジェが組み合わさったモニュメントの写真 細かな突起物がポツポツと突き出た楕円を三つ並べたようなシルエットをしたモニュメントの写真 逆さまにした円錐をいくつも並べて繋げたようなシルエットをしたモニュメントの写真
タイトル AMOUR(愛) blooming ゆくえ
作者 田宮 美弘 蒲田 依子 熊沢 華子 矢田 秀人
場所 屋代駅市民ギャラリー 月山公園(入口付近) 粟佐桜づつみ 粟佐桜づつみ
年度 昭和60年度 平成10年度 平成8年度 平成6年度
制作意図

子供をしっかり抱きかかえて、風雨にも立ち向かっていく母の姿、いいかえれば子供の成長を見守っていく姿、生においてのいろんな壁にも立ち向かい乗り越え、子供と共に突き進んでいく、子は母の胸元の中で安堵感に包まれしっかりしがみつき、母はしっかりと抱きかかえ厳しい表情の中に、子を思う優しさが溢れるばかりの母子の強き絆の姿をイメージとして作った。

人々の心の中になにか呼びおこすものが生まれて、励みとなっていただければ素晴らしいことと思う。

私は人工物と自然との対比に興味がある。雄大な自然は、あらゆるものをのみこみ、その体の一部にしようとする。この作品が生まれたのは、この場所によるもので、さらに数ある候補地の中でも、この地でなければならなかった。それは、この場の緑のあり方が、最も自然に思えたからだ。赤は緑のなかにあって、一番目につく色だ。人工物が自然に飲み込まれようとその存在を主張し続けるように、完全にその一部にはなり得ない。しかし共存していく上で大切なのは、互いのコミュニケーションだろう。私は相容れない者同士こそが生み出す美を信じている。 この作品は、眺める人にとって、まず滑稽なものでありたいと思う。なぜならそれは、”笑い”の感情を引き起こすことができる要素が含まれていることを示すからだ。これは、単純かつ表面的に見受けられるかもしれないが、私自身大切に考えていることであり、パブリックアートの視点から見ても軽視できないであろう。そして滑稽とは、”道化”であり、作品でいう内的部分に当たり、見た目の”陰”といえる。フォルムが太っているのも、様々な感情の喜怒哀楽が全て詰まっているからであり、かのカタチが生まれてきた背景には、大切な人の死が大きく関わっているのも事実である。〈ゆくえ〉というタイトルは、あてもなく彷徨うことではなく、夢や希望、喜びや悲しみの全てを抱擁しつつも、風船のように軽快に飛んでいかれる身軽さと、力強さ(石という素材に対しても)を合わせ持つ意味が込められている。

たとえば、頭の中で一本の線を引いてみる。それをふくらませ三次元の形にしてみる。

それからの行為の繰り返しの中で、自分自身が感じる感覚を大事にしたい。

その感覚とは、自分から発せられるものなのだが、どこか自分のものでないような過去にも未来にも通じるような「記憶」とでも言うべきものが潜んでいる気がする。

ある一つの石が、ゆるやかな曲線で分割されるとき、そこにゆるやかに流れている「時間」を感じずにはいられない。

それは人それぞれに流れている異なった「時間」とどこか似ている。

僕が石自体に感じる「時間」「記憶」がそう思わせるのかも知れない。

石に流れている「時間」「記憶」を感じる時その時間の原点とは?記憶の「素」とは?と考えるのである。

そこを通るとき、だれもが、ひと息つけるような憩いの場を提供したいと考えた。

作品の周囲のゆるやかな盛土は、平坦な堤防に少しでも視覚的変化をつけたいと考え、そのような異質な空間を取り入れることで、桜づつみを新たな目で見渡せるのではないかと考えた。

そして、そこを歩く人々が、そこで足を止め、その盛土の上の芝生に座ったり寝転んだりしてひと息ついて、ふと、辺りを見渡したとき、今までと違った桜つづみに気が付き、考えてくれたら、と考えるである。

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