初の古文書博物館 千曲市武水別神社神官松田邸 開館
千曲市武水別神社神官松田邸とは
千曲市初の古文書を中心に展示する博物館です。市教育委員会では、平成17年度より「松田家資料保存整備事業」を実施し、明治30年(1897)の日本博覧図に描かれた「松田穂並邸宅」を基準に松田家の建物群の復原を進めてまいりましたが、令和4年度に事業が完了し、令和5年3月25日に「千曲市武水別神社神官松田邸」(以下「松田邸」と省略)が開館する運びとなりました。
主屋内には展示室があるほか、約2000坪の敷地すべてが博物館になります(一部立入禁止区域があります)。敷地内に残る建物群や古文書展示を通して、身近に歴史を体感できる施設となっています。
(松田邸は、日本遺産「月の都千曲」の構成文化財の一つとなっています)
主屋室内の様子
日本博覧図(明治30年〈1897〉)
松田邸の特徴
松田邸の敷地と建物群
松田邸は、東西約70メートル、南北約90メートルの方形区画の敷地内に、中世の居館跡をしのばせる土塁跡や堀跡があり、その敷地の上には江戸時代中期から明治時代にかけての建物群が現存し、神主の住居としては県内屈指の屋敷構えを持っています。
平成10年(1998)の発掘調査により、土塁と堀は16世紀初め頃に築造されたことが判明したことから、松田邸も戦国時代から続いていることがわかりました。
このように、松田邸は史跡的にも建築史的にも貴重であることから、平成15年(2003)には建物群が千曲市指定文化財に、平成18年(2006)には敷地が長野県史跡に指定されました。
西側土塁の断面
発掘で出土したかわらけ等
松田家の古文書
戦国時代から武水別神社(江戸時代までは「八幡宮」と呼ばれました)の神主を代々つとめてきた松田家には、約13000点もの古文書が伝来しています。そのなかには、武田信玄や上杉景勝といった戦国武将の古文書のほか、戦国時代から現在までの武水別神社の歴史・文化・祭礼に関わる古文書が残り、八幡地区の歴史と文化を知るうえで大変貴重な資料となっています。
松田家は、戦国時代以来、絶えることなく松田邸に居住し続けたことにより、多くの古文書が残りました。神主の家に関わる古文書がこれほど多く残されている類例は県内にもありません。
武田信玄朱印状(元亀元年〈1570〉12月4日)
上杉景勝朱印状(天正12年〈1586〉6月27日)
松田邸と和歌
松田邸の南には冠着山や姨捨の棚田がのぞめます。姨捨山は、わが国最初の勅撰和歌集『古今和歌集』に、「わが心、なぐさめかねつ更級や、姨捨山に照る月を見て」と歌われるように、古来から月見の名所として知られていました。
室町時代の文明10年(1478)頃、連歌師の宗祇は、姨捨山に月見に訪れたさい、「此所の八幡宮神主許」で行われた連歌会に参加して和歌を詠んでいます。松田邸周辺が歌人も集う文化的サロンになっていたことがうかがえます。
こうした背景のもと、松田家には和歌に関する多くの古文書も伝来しています。室町幕府奉行人(官僚)蜷川貞相、豊臣秀吉側室の淀殿、そして徳川幕府二代将軍徳川秀忠の和歌などの優品が多数あり、「松田家文書」の特色の一つとなっています。
利用案内
開館日
金曜日・土曜日・日曜日
開館時間
午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
観覧料
一般300円(250円)、高校生150円(100円)、中学生以下無料
カッコ内は団体料金(団体は20名以上からになります)
駐車場
詳細については、松田邸までお問い合わせください。
電話番号:026-247-8760
交通案内
電車でお越しの場合
- しなの鉄道「屋代駅」から車で約10分
- 篠ノ井線「姨捨駅」又は「稲荷山駅」から車で約8分
車でお越しの場合
- 長野自動車道更埴I.Cから車で約10分
- 長野自動車道姨捨S.Aから車で約10分
市内循環バスでお越しの場合
- 大循環線「ちくま号」又は姨捨線「めいげつ号」で八幡停留所下車徒歩1分
お問い合わせ先
住所
〒387-0023
長野県千曲市大字八幡3033-25
千曲市武水別神社神官松田邸
電話番号
026-247-8760
千曲市武水別神社神官松田邸開館のチラシ
この記事に関するお問い合わせ先
歴史文化財センター
〒389-0897
長野県千曲市上山田温泉四丁目15-1
電話番号:026-214-2741
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更新日:2023年04月01日