城山史跡公園「荒砥城跡」

更新日:2024年01月29日

施設のご案内

所在地

千曲市大字上山田字城山3509番地1

電話番号

026-275-6653
城山史跡公園管理棟

開園時間

開門【午前9時】~閉門【午後5時】
(注意)入城は午後4時30分までです。

休業日

12月29日~1月3日(年末年始)

入城料

【大人】1人300円、【団体(20名以上)】1人250円
【高校生】1人150円【団体(20名以上)】1人100円
【中学生以下】無料

駐車場

普通乗用車15台(無料)
(注意)大型バスの駐車はできません。

アクセス

お車で来城される場合

  • 上信越自動車道坂城インターチェンジより約20分
  • 長野自動車道更埴インターチェンジより約30分
  • 姨捨S.Aスマートインターチェンジより約20分
    (松本方面からのみ)

電車を利用して来城される場合

  • 東京方面から 北陸新幹線 → 上田駅(しなの鉄道線乗換)→ 戸倉駅
  • 北陸方面から 北陸新幹線→長野駅(しなの鉄道乗換)→戸倉駅
  • 名古屋方面から JR篠ノ井線 → 篠ノ井駅(しなの鉄道線乗換)→ 戸倉駅

タクシーで来城される場合

戸倉駅よりタクシーで約10分

資料

城内から見下ろす千曲市の街並みの写真

荒砥城の概要

 荒砥城は、当地一帯を治めていた地方豪族“村上氏”の支族にあたる“山田氏”により、大永4年(1524)に築城されたと伝えられています。冠着山から千曲川へ向かって伸びる舌状尾根の突端部にあり、戦略上重要な位置に築かれています。
 城の形は、郭をいくつも連ねて作られる『連郭式山城』という、当時一般的な形式で築かれています。また荒砥城のほか、荒砥小城(あらとしょうじょう)や若宮入山城(わかみやいりやまじょう)といった荒砥城に付属する城や、のろし台と考えられる證城(しょうじょう)が同じ尾根上に連続して築かれています。
 これらの城跡は、千曲市の史跡に指定されています。

大きな山に囲まれた町と荒砥城の当時の様子を想像して描かれたイラスト

川中島合戦での荒砥城

 甲斐の武田晴信(後の信玄)は、領地の拡大などを目的に信濃への侵略を開始し、まず佐久地方の城を次々と落城させ、さらに諏訪地方にまで攻め込んでいきます。このころ、上田地方や更級・埴科地方などを領地としていた村上義清は、北上してくる武田軍と対峙し、上田原の合戦や戸石城の戦いで武田軍を退けます。
 戦国随一と謳われた武田軍を2度も撃退するという戦果を挙げますが、天文22年(1553)、ついに居城である葛尾城を攻められ、村上義清は城に火をかけ、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)の元へと敗走します。領地奪還を目指す村上義清に長尾景虎は加勢し、武田軍のさらなる北上を阻止するため軍を信濃へ進めます。これが世にいう『川中島合戦』の始まりとなるのです。
 川中島合戦は、天文22年(1553)から実に5回、12年もの長きにわたり戦いを繰り広げます。この戦いの中で、荒砥城は、武田軍の城となったり上杉軍が支配したりと、目まぐるしい奪い合いの渦中にありました。

城山史跡公園の整備

 城山史跡公園は、平成2年度から5年間の歳月を費やし、平成7年6月にオープンしました。当時の山城の雰囲気を感じていただくことができ、また、ふもとの戸倉上山田温泉から僅か数分という最良の立地条件もあり、県内外から多くの観光客が来られる施設となりました。
 荒砥城の本郭は標高590メートルで、千曲川から比較するとおよそ220メートルの比高差があります。公園内にある櫓に登ればとても眺めが良く、眼下には千曲川の雄大な流れと、南は埴科郡坂城町から上田市北部付近、北は長野市の南部まで広く見渡せます。

木々に囲われた城山史跡公園を上空から撮影した写真

上空からみた城山史跡公園

NHK大河ドラマの撮影ロケ地として

風林火山(平成19年放映)

  • 荒砥城を、佐久海ノ口城に見立て、武田晴信初陣のシーンを撮影しました。
  • 千曲市内では、荒砥城のほかに2箇所で撮影が行われています。

江~姫たちの戦国~(平成22年放映)

  • 浅井長政の居城「小谷城」に見立て、小谷落城のシーンを撮影しました。

イメージキャラクター アラトくん

赤い甲冑を着て槍を構えるイメージキャラクターアラトくんのイラスト

地図

城山史跡公園「荒砥城」

この記事に関するお問い合わせ先

歴史文化財センター
〒387-0012
長野県千曲市大字桜堂268番地1
電話番号:026-261-3210
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